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じいじいばあばあとの思い出

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こどもの頃からずっと母方の祖父母のことは「じいじい、ばあばあ」って呼んでいたの
たぶん今なら「じいじ、ばあば」って結構ふつうじゃん!
けどその頃はそんな呼び方している人いなくて公共の場所でそう呼ぶのが恥ずかしかったの覚えてる。

そんなじいじい、ばあばあが亡くなって15年くらい。

母が急死した2005年の翌年にばあばあ、その翌年にじいじいって3年のうちに3人が亡くなって
その頃は急に中学生の弟の母の代わりをしながら祖父母の介護をして家の家事ぜんぶするっていう
なんかそれまで東京で楽しくなんの責任感もなく遊びながら生活してたのが一転したから
たまにスーパーで買い物しながら涙が止まらなかったの思い出す。

なんだろうね、20代だったからいろいろが重かったのよね。

それから10年以上経って数年前に叔母が亡くなって以降はこのお家を手放す計画があって
でも現実的にたくさん想い出のある母の実家が他人のものになるのが悲しくて
司法書士さんといろいろ進めて行くたびに悲しさが増していたの。
その時も三原のお家に何か用事で来た帰りとか昔を思い出してよく車で泣いていた。

わたし泣き虫ね。

でもね、「空き家再生住宅」って制度に応募していたらそれに通って10年間三原村に貸すことになったの
今のお家をすべてオール電化にリフォームしてくれて10年後に手元にもどってくるってやつ。
手放さずにきれいになって人に使ってもらえるから空き家でどんどんダメになる心配もなくなったの!
なにより10年って期限があるのがうれしいよね!すごくいい制度だよ。

それで昨日今日と業者さんに入ってもらってジャングルになってたお庭をきれいにしてもらってるよ
お掃除の方たちがここのお庭は昔とても立派だったのがわかる!ってすごく言ってくれるから
今日はおじいちゃんの写真を出してみんなで見比べてたよ。
この東屋も子供の頃よく遊んだところ。

今回ジャングルで何も見えなくなってたところを刈ってもらって切ってもらってやっとでてきた
玄関の前のところも、昔この大きな平の石の上でランチ食べたりいろいろしたの覚えてる。

同じところだってわかるかな?

今回はシルバーさんにお願いしたんだけど、わたしたちにはわからない元々じいじいが植えてた木と
放置したあとに勝手に生えてきた木の区別がわかるので昔の形がよみがえってきてすんごくうれしかった。

わたしが今住みたいお家が、平屋でお庭が広くて自然がたくさんあるところだから
実際はここに住めたら一番いいのだけど、やっぱり今住んでる所から30分はかかるから
エメちゃんの生徒さんも通ってもらえないしわたしもすぐ打ち合わせとか行けないなぁと決断できず

でもすごーく好きなお家だしお庭だし、思い出もいっぱいあるから
10年後には家族みんなの週末ハウスで使えるようにしようと計画中!

この頃はじいじいが大好きなお庭いじりができなくなっていて1度だけ当時もシルバーさんに
草引きとかいろいろお願いしてすごく喜んでくれたんだけど今思えばもっともっと
自分たちもお手伝いしてきれいなまま保ってあげたかったなぁとか後悔たくさん。

けど、一度はなくなると思っていた三原のお家が手放さなくてすんだことが本当にうれしい。
なんせほぼ毎週末泊まりに行ってたからね、夏休みは1ヶ月くらいいたからね。

あーーー、写真見ると声もにおいも思い出す。思い出って大切だぁ。
じいじいばあばあ、会いたいよぉ。

 

 

 

 

 

 

 

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この記事を書いた人

Mummy & Graphic designer

I live in the beautiful prefecture of Kochi, Japan. I’m married to a cheeky Australian and we have an energetic young boy. I’m interested in family time and enjoying nature.

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